アダム・クーパーの「危険な関係」
アダム・クーパーの新作バレエ「危険な関係」を観てきました。アダム・クーパーは素晴らしいダンサーですが、自作自演、しかも世界の初日ということもあって、期待はしつつも、まさに海のものとも山のものともつかない舞台(前回の「オン・ユア・トウズ」も観ましたが、ちと踊りが少なくて不満が残りました)。不安なままに幕があきました。
結果的には杞憂というかんじでしょうか。もともと、貴族世界の退廃的な恋愛劇はバレエの主題としてはぴったりですし、誘惑する男=ヴァルモンはアダム・クーパーに適役です。悪女、処女、貞淑な未亡人をつぎつぎ相手にするパドドゥ(二人でおどるダンスのこと)は官能的で、魅力たっぷりでした。とりわけ、誘惑になかなかなびかない貞淑な未亡人役のサラ・ウィルドー嬢は(アダム・クーパーの愛妻)、いったん貞淑をかなぐりすてたあとの大胆さが可憐にして官能的、弄ばれたと知っていきどおる狂乱の場は彼女の初来日舞台「ジゼル」を彷彿とさせるすばらしさでした。問題は処女のセシールとの振り付けです。ほとんどパドドゥが乱暴なマクミラン風で、レイプみたいだったんですよ。あれはどうなんでしょ。もう少し、エレガントに誘惑しないと、貴族の恋愛遊戯になりません。次の幕でこんどはセシルがヴァルモンをおっかけまわす複線だっていきないし。ロリコン風味のロジェ・バディム版「危険な関係」ほど牧歌的にやれとはいいませんが(ジェラール・フィリップのヴァルモンはとてもエレガント)、ちょっと踏み込みが浅いのではないかと思った次第。
どうも、大ヒットしたスティーブン・フリアーズ版(グレン・クローズがでてるやつ)が今回下敷きになっているのかもしれませんが、私はアネット・ベニング&コリン・ファース主演のミロシュ・フォアマン版のほうがすき(今回の舞台も、映画版も、どれも微妙に設定とオチがことなるので比べてみるとおもしろいんじゃないでしょうか)。あと、パンフを読んだら美術デザイン兼共同演出担当の人がRSC(ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー)版もあげていました。RSC版では、娼婦の背中でヴァルモンが別の女にむけてお手紙をかく「背徳的」なシーンがあるのですが(それくらいヴァルモンは「ラブレター=恋愛」のことをなめてるわけです)、今回のバレエ演出では、そんな余裕のあるコミカルな演技がまったくなかったのもちょっと惜しかったかったかな(このRSC演出は麻美れいさんでPARCO劇場でもやりましたっけ。演出デヴィッド・ルヴォー)。台詞のないバレエだと、やはり手紙は小道具になりさがってしまって、この小説が本来書簡体小説だってことがふっとんでしまうのも痛いところ。手紙でああだった、こうだった、と告白しあうのが恋愛遊技の悠長なツールになっているのに、なんか、今回、直接ガラス越しにながめる演出になってしまっているのがバレエ的、そして現代的といえば現代的でした。
擬似的恋愛を愉しみ尽くした人間でも、陥ってしまうとぬけられないのが真実の恋、というオハナシがわかりやすいから、本作品がなんどもなんども再映画化&舞台化されるのでしょう。そして擬似恋愛と真実の恋を対比するならば、擬似恋愛は軽く楽しげにおこなっていただきたいところ(舞台はフランスなんですし)。ヴァルモンは女たらしだけど、他人の人生をわざわざ壊してまわるほど悪人ではない。メルトゥイユ夫人だって、共犯者である対等な立場を愉しんでいるだけで、それほど悪女ではないと思うのです。けれど、アダム・クーパー版のヴァルモンは過剰に官能的かつ、悪魔的なので(AMP版「白鳥の湖」の黒鳥のイメージがここでいきてしまう)、かかわる人すべてが悲惨なことになっていく、っていうのが、なんか新鮮といえば新鮮でした。擬似恋愛も楽しくてやっているようには思えない。あくまでメルトゥイユ夫人(悪女=魔王)に支配され、勤勉に課題をこなしているようにみえました。まあ、この辺は、今回あくまでもバレエの主役がヴァルモンなのですから、これでよいのかもしれませんね。堕天使風ヴァルモンにご興味のあるかたは、舞台に足をはこんでみていはいかがでしょうか。
あと、ラストの「Liberté(自由)」は蛇足な演出なのではないでしょうか。血と剣とくずれおちるメルトゥイユ夫人に、フランス革命を想起しろいわれても(たぶん、そんなことなのでしょう)、ねえ。まあ、ああいう演出はイギリスっぽいですけど。
結果的には杞憂というかんじでしょうか。もともと、貴族世界の退廃的な恋愛劇はバレエの主題としてはぴったりですし、誘惑する男=ヴァルモンはアダム・クーパーに適役です。悪女、処女、貞淑な未亡人をつぎつぎ相手にするパドドゥ(二人でおどるダンスのこと)は官能的で、魅力たっぷりでした。とりわけ、誘惑になかなかなびかない貞淑な未亡人役のサラ・ウィルドー嬢は(アダム・クーパーの愛妻)、いったん貞淑をかなぐりすてたあとの大胆さが可憐にして官能的、弄ばれたと知っていきどおる狂乱の場は彼女の初来日舞台「ジゼル」を彷彿とさせるすばらしさでした。問題は処女のセシールとの振り付けです。ほとんどパドドゥが乱暴なマクミラン風で、レイプみたいだったんですよ。あれはどうなんでしょ。もう少し、エレガントに誘惑しないと、貴族の恋愛遊戯になりません。次の幕でこんどはセシルがヴァルモンをおっかけまわす複線だっていきないし。ロリコン風味のロジェ・バディム版「危険な関係」ほど牧歌的にやれとはいいませんが(ジェラール・フィリップのヴァルモンはとてもエレガント)、ちょっと踏み込みが浅いのではないかと思った次第。
どうも、大ヒットしたスティーブン・フリアーズ版(グレン・クローズがでてるやつ)が今回下敷きになっているのかもしれませんが、私はアネット・ベニング&コリン・ファース主演のミロシュ・フォアマン版のほうがすき(今回の舞台も、映画版も、どれも微妙に設定とオチがことなるので比べてみるとおもしろいんじゃないでしょうか)。あと、パンフを読んだら美術デザイン兼共同演出担当の人がRSC(ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー)版もあげていました。RSC版では、娼婦の背中でヴァルモンが別の女にむけてお手紙をかく「背徳的」なシーンがあるのですが(それくらいヴァルモンは「ラブレター=恋愛」のことをなめてるわけです)、今回のバレエ演出では、そんな余裕のあるコミカルな演技がまったくなかったのもちょっと惜しかったかったかな(このRSC演出は麻美れいさんでPARCO劇場でもやりましたっけ。演出デヴィッド・ルヴォー)。台詞のないバレエだと、やはり手紙は小道具になりさがってしまって、この小説が本来書簡体小説だってことがふっとんでしまうのも痛いところ。手紙でああだった、こうだった、と告白しあうのが恋愛遊技の悠長なツールになっているのに、なんか、今回、直接ガラス越しにながめる演出になってしまっているのがバレエ的、そして現代的といえば現代的でした。
擬似的恋愛を愉しみ尽くした人間でも、陥ってしまうとぬけられないのが真実の恋、というオハナシがわかりやすいから、本作品がなんどもなんども再映画化&舞台化されるのでしょう。そして擬似恋愛と真実の恋を対比するならば、擬似恋愛は軽く楽しげにおこなっていただきたいところ(舞台はフランスなんですし)。ヴァルモンは女たらしだけど、他人の人生をわざわざ壊してまわるほど悪人ではない。メルトゥイユ夫人だって、共犯者である対等な立場を愉しんでいるだけで、それほど悪女ではないと思うのです。けれど、アダム・クーパー版のヴァルモンは過剰に官能的かつ、悪魔的なので(AMP版「白鳥の湖」の黒鳥のイメージがここでいきてしまう)、かかわる人すべてが悲惨なことになっていく、っていうのが、なんか新鮮といえば新鮮でした。擬似恋愛も楽しくてやっているようには思えない。あくまでメルトゥイユ夫人(悪女=魔王)に支配され、勤勉に課題をこなしているようにみえました。まあ、この辺は、今回あくまでもバレエの主役がヴァルモンなのですから、これでよいのかもしれませんね。堕天使風ヴァルモンにご興味のあるかたは、舞台に足をはこんでみていはいかがでしょうか。
あと、ラストの「Liberté(自由)」は蛇足な演出なのではないでしょうか。血と剣とくずれおちるメルトゥイユ夫人に、フランス革命を想起しろいわれても(たぶん、そんなことなのでしょう)、ねえ。まあ、ああいう演出はイギリスっぽいですけど。
by supersonicxxx
| 2005-01-23 03:36
| ステージ